みなさんこんにちは!JB/NBCのトーナメントに参加しているトーナメントマニアです。外国から帰国して、3年前に琵琶湖の畔に引っ越してきました。更なる前進を求める為、2015年よりブログをスタートする事にしました。内容はバスフィッシングに役立つ情報を中心に発信していきます。バスフィシングはとても素晴らしい事だと思います。皆様にも有益な情報を取得して頂き、有意義な時間を過ごせて頂けたらと思います。なお、私のブログは特定の企業、団体や人を批判するものではありません。私は基本ネガティブな記事は書きません。時々、文章がおかしいですが、けっして頭がおかしい訳ではありません。(笑)皆さん、応援よろしくお願いします。
得意なスタイル:サイトフィッシング(見つけて釣る)
バスフィッシングついて:自分が子供の頃に事故で亡くなった、父親の兄。つまり叔父から初めて教わった楽しい事、面白い事。文化的かつ科学的、壮大で偉大な事。大切にしたいです。
フィシングコンセプト:一魚一礼(One Fish, Much Respect)
出身:静岡県
身長:175cm
体重:65kg
血液型:A型
視力:2.0
ボート&トーナメント大会参加歴:10年
左巻き、右投げ、
ベジタリアン
ITエンジニア、デザイナー、フォトグラファー 何れも少しずつ…
好きなDJ
Danny Howells, Sasha, Danny Tenaglia, Paul van Dyk, Jeff Mills, John Digweed, Carl Cox, Richie Hawtin, Derrick May, Josh Wink etc…
ここからは自分をさらけ出していきます。

笑えるはなし①:1995 年の時の話。当時17才。自分はニューヨークのヒップホップに非常に興味があった。特にウータンクランというラップグループが、空前のヒットを飛ばしてお り、現地のスタッテンアイランド(ウータンの本拠地)にライブを見に行きたいと思って、飛び立った。原付を売却して、69800円のエアチケットを購入して飛び立つ事にした。これまた、とんでもない 計画で、持参した荷物が、パンツ2枚、Tシャツ3枚。ホテルは予約せずに、両親からもらった、おこずかい5万円程を持ってニューヨークに飛んだ。両親には1週間程で戻ってくるって言って出発した。実はこの時点でニューヨークが何処にあるかは知らなかった(笑)また、国際電話のかけかたも知らなかった(笑)更にニューヨークでは日本語が通じると思っていた(笑)17才の発想である。空港に付いたらニューヨークだと思っていた。行きの飛行機の中で、日本人のレイコさんという英語訛りな日本語を話す、きれいなお姉さん(30)に電話番号をもらった。その時、レイコさんには「あなたは最高のバカね。無謀な子だわ。」て言われた。はい。これって、グリーンガムの紙の裏に電話番号が書かれていた。日本のガムは最高に上手いわ。って言っていたのを覚えている。斜め後ろに日本語が話せる中国人の人がいたが、天安門事件の事で、他の人と激しく話しており、自分には口を聞いてくれなかったのを覚えている。

当時は12月で大寒波が来ており、とても寒かった。空港に付いた途端に、身長190cm位ある、シカゴブルズのピッペンみたいな、黒人2人が声を掛けて来て、ニューヨークまで乗せてってやるぜ。メーン。って言われた。凄くいいヤツだなと、思って乗せてってもらった。実は彼らは白タクだった。結局、タイムズスクエア裏まで連れてかれ、金と荷物、付けていたG-SHOCKまで取られた。もう一人のヤツは靴までよこせって言いやがった。(当時はまだレーガン政権の政策の影響が色濃く汚く危なかった。)結局、自分はタイムズスクエアのど真ん中で、2日間、野宿した。世界中の人の顔、喋る言葉。足音を聞きながら、うっすら寝ていた。3日目の朝に、Sbarroピザ屋の前で、ある日本人の人にあった、どうやらボストンからきた、IBM日本支社の重役だったらしい。理由を話し、IBMの会社に連れてってもらった。そして、紹介してくれたのが、IBMのNY支社の社長で、これから重役会議があるらしいとの事だった。結局、自分はその社長から900ドルを借りた。帰りのチケットは800ドル位で購入した。残りは80ドル位しかなくなった。そして、レイコさんに電話をかけた。電話をかけて、「Hello~」って応答があった。異常に緊張して、声が出せなかった。次の瞬間「もしもし」って日本語に変わった。ほっとした。どうやら自分が電話してくると思っていたらしい。その日はクリスマスの前日で、レイコさんの家でパーティーに呼んでもらった。レイコさんには、また、「あんたは、バカのバカの本当のバカね。バカね。バカね。バカね。」って100回くらい言われた。結局、自分はそのまま、何もしないまま日本に帰国した。この旅は自分の中でもの凄い何かを得た気がした。

笑えるはなし②:それから2年後、19才の時。自分はアメリカ大陸を横断してみたくなった、ロスアンジェルスからニューヨークまで横断したくなった、理由は簡単で世界はあんなに広いんだから、横断しなければ、地球上に生きている人間として、損じゃないかと思った。思春期の爆発ってヤツだと思う。コンビニとガソリンスタンドでバイトした、1500ドル程を持って家を出発した。ロスアンジェルスからニューヨークからまで、2776マイル、キロ計算だと実に5141kmもある。ロスアンジェルスに到着して、名前が「六名館」とかいう、くそ汚い宿に一泊25ドル位の宿に泊まった。多分、サウスセントラルとリトル東京の間にあった「大黒屋」とかいう「セツ子」さんとかいう目ん玉が飛び出したドラゴンボールの占いババ見たいな、クソババアがいる宿だった…知っている人は知っていると思う。部屋に入ると何故か血痕が壁と床中にあった部屋だった… まあ!いいか。という感じで部屋にすたすたと案内され歩いていった。ロスアンジェルスでは20才未満にレンタカーを貸してくれる所は少なかった。結局、自分は1200ドル位で、緑のポンコツのトヨタのターセルを韓国人系のオーナーがいるレンタカー屋で借りた。オーナーはどうやら書類を偽造して俺にレンタカーを貸してくれた、一生懸命、金の勘定をしていたのを覚えている。自分のプランはこうだった。とにかく、ハイウェイに乗って、東の都ニューヨークまで1ヶ月かけて横断するというプランだ。ホテル代はないので、車中泊でいくというもの、食事は全部、マクドナルドで済ますというプランだった。とりあえず、ロスからネバダのラスベガスまで車で飛ばした、途中、いろんな光景を見かけた。アメリカってのは凄い国でハイウェイでは家も運んでいた。俺の緑のターセルは90マイル 位のスピードが出てアクセル全開で走り続けた…

ネバダ州ってのはくそくだらない、ディズニーランドのビックサンダーマウンテンの実写版みたいな所だった。20キロ毎にあるのはガソリンスタンドとキヨスクみたいな売店がある道の駅だった。 走っても走っても同じ景色が続く。とにかく退屈だ。そういえば…あのエルビスプレスリーという旦那は元々、トラックの運転手でこの辺をドライブしていたらしい。ヤツが聞いていたラジオはブラック系のR&Bだったらしい。その為にあんな歌声になってしまったらしい。それ位くだらない道が果てしなく永遠と続く… 下記途中..

笑えるはなし③:26才の時にマリアという女性と付き合っていた。加賀まりこの若い頃にそっくりな女子でめちゃカワイかった。そして、27才の誕生日に、東京渋谷のイタリアン料理店でバースデーディナーをする事になった。大好きな彼女が祝福してくれて、自分は凄くうれしかった。いつも胸元を隠すマリアは、なぜかその日に限って開いていた、自分は不思議に思い、なにげなく、マリアのセクシーな胸元を覗き見した、次の瞬間… 引っぱたかれ、彼女が「ちょっとあんた!何処見てんのよ!」と言われ口論になり、飲んでいたワインを顔にぶっかけられ、プレゼントを顔に投げつけられ、怒って帰ってしまった。あわてた自分はワインまみれになりながら、マリアを追っかけたが見失ってしまった。メルローワインという唐辛子が入ったワインが目に染みて、目を開けられなくなってしまった為にだ。恐らく今までの誕生日の中で一番の苦い思いでだったと思う。なお、プレゼントは十字架のネックレスだった… Lord Have Mercy(主よわれらをあわれみたまえ)という意味である。27才の誕生日は一生忘れないと思う。とんでもない日だった。
ラッパーの「スリックリック」にあった話:自分はニューヨークのDEFJAM RECORDINGS の待ち合い室でラッパーのスリックリックにあった事がある。 ラップのオールドスクールに Sugarhill gang – 8th wonder という曲があるこれは有名なメジャーレコードレーベルがマンハッタンの8THアベニューにある事から8TH AVに夢があるという事で始まった事で今現在もユニバーサルレコードグループなどの企業が8TH AVEのビルディングにオフィスを構える。面白い事に何十階というビルディングなのに全ての同系列の会社が同じビルディングに入っている。つまりは世の中は狭い…そのビルの12階にデフジャムのオフィスがあった。このスリックリックというラッパーはとんでもないヤツで殺人容疑が掛けられているラッパーだ。この男からはサンサンと紫色のオーラが出ていた。すさまじかった… 元々はイギリスからの移民でラップの切れがブリッティシュ訛りのアクセントを持つラッパー。デビューした曲が Slick Rick – Children’s Story という子供の頃の昔話をするストーリーの内容だが、話のオチは警官がカーステレオを窃盗したガキを追いかけて最終的に撃ち殺してしまうという…センセーショナルなストーリーだ。

アメリカの忙しいヤツ等ってのはクソいい加減だった。明日の12:00の待ち合わせが明後日の16:00まで伸びたりする。当時、自分は毎週、金曜日にレコード会社に出入りしていた… とにかく忙しかった。A Tribe Called Quest が所属するJIVE RECORDS(オーナーはブリティシュ)のはミッドタウン。De La Soul等が所属するTommy Boyレコードもミッドタウン。Busta Rhyme等が所属するElektra Recordsはロッカフェラービルディングの中にあった。そしてジャネットジャクソン等が所属するVirgin Recordsは14ストリート等々。 続く…

オランダヘ 〜安楽死と女とグラスが認められている国〜:2008年にオランダへ渡航した。夏休みにイギリスからユーロスターに乗りフランス経由でポーランドからアムステルダムに入国するつもりだった計画を変えて、日本からダイレクトにスキポール空港に飛んだ。まず始めに世界旅行の基本は我が国の歴史に学べ…というのが私からのアドバイス。つまりは歴史上でいざこざが発生している国の旅行は居心地のいいものではない。ご存知の方も多いかと思うがこのオランダと日本国は第二次世界大戦中(1945年〜)インドネシア独立戦争にてドンパチやっている。日本国はインドネシアをオランダ国から植民地解放した戦争に加担した戦争になる。響きは悪いがそれらは全部連合軍に固められたウソでオランダという国はとんでもない国だ。何故?売春や安楽死、麻薬が合法的に認められているのかというと他人の人生や権利を尊重しない文化の上に成り立っているからだ。簡単にいうと「かってにしやがれバカヤロ〜」という国家なのだ。そもそも17世紀初頭に奴隷貿易を始めたのもオランダだ。これが事実か偽りにしろ、町中を歩いてるだけで「ファッキンチャイニーズ」といいながら旅行客である私にガムを吐いてた野郎がいる。ぶっとばそうと思ったが…そういう価値観は儒教国家には存在しない。日本人の感覚からしたら普通じゃない!異常事態だ。だから戦争が起こった。そんなオランダ野郎の価値観と闘ってくれた大日本帝国軍の戦友には心から感謝したいと思う。ここで重要な事は憎悪や険悪というモノは人や見えないモノに存在しているという事。こんな価値観が海の向こうでは日々日頃、流氷の如くぶつかりあっている。自分のロジックシンキングでは世界中の90%の歴史は捏造だと思う。ただニオイというのは絶対に消えない。世界中を歩いて自分の鼻で臭いをかぎながら考える。猿のケツの臭いでさえ1万年以上前と変わってはいないクセェ臭いだ。話は戻るが、この国は 続く…
ニューヨークのDJ HIROの家へ:自分が10代の頃にはよく手紙を書いた。有名なアーティストや将来なりたい職業で成功している人物に直接かいた。住所は解らなかったから雑誌の編集部に送った。(編集部の人達もよく手紙を手渡してくれたと思う)理由は簡単で自分は田舎生まれで周りに有名な人や成功している人は一人も居なかった。今みたいにソーシャルネットワークなどもない時代だった。1991年位からニューヨークのクラブミュージックシーンでDJ ヒロシ(ハウスではない)という名を轟かせていたDJがいた。80年代の後半から日米貿易摩擦を皮切りに日本国内はバブル期に突入。アメリカのファッションやミュージックが日本国内で売れに売れた。彼は92年くらいにニューヨークで有名なクラブライムライトというクラブで初めてA&RやDJをプレイしていた。あとはファットビートレコード店というレコード店のマネージャーなどもしていた。彼のコネクションは凄まじかった、日本国内で流行るアメリカ関係のファッション中心人物に全てのコネクションがあった。先日にグラミショーを受賞したラッパーのCOMMON などのデビュー当時にも所属レーベルrelativityレコードでマネージャーもしていた記憶がある。ナイキなんかも88年頃にボビートという米人によって国内でAIR FORCE 1が紹介され一躍ブームとなった。そんな彼とも親友だった。まさにファッション外交官だった。他にも有名所ならば SUPREMEのモデル。ブッダブランドのデビューなどにも絡んでいる。音楽業界でいうならば松井やイチローにあたる。プライベートの事なので詳しくは書かないが彼の父親はまた凄い血筋だった。そんなこんなで手紙の返事が来た。内容は「とりあえず来てください。僕はここで働いています」という内容で電話番号が書いてあった。何故か解らないが俺は電話はしなかった。電話をする事は失礼だと思った。それぐらいの人に見えた。 続く…
兄弟の話:自分には兄弟がいる。2年下の弟と6年下の妹がいる。自分は18歳から実家にいなく、全くを持って明後日の方向を見て生きてきた。びっくりするかも知れないが、最近になって兄弟がいたなぁ〜 と思う。(多分、若い頃は脳内のケミカルプロセスが早すぎて、クレイジーだったんだと思う) 近い存在で遠い存在なのが、兄弟なのか?とも思う。特に妹の智子は知らない間に大人になっていてびっくりした。「お兄ちゃんはバカだ!」とケツ蹴り上げられる位になっていた。ただ母親に似ていて、しっかりしていたのは心底安心した。周りの人を見てみると、兄弟で喧嘩している人、とても仲良くやっている人、絶縁している人…人様々だ。自分が兄弟に持つ メカニカルイズムはこうなる。兄貴は弟を押さえつけ、弟は兄貴の悪い所を見抜き、社会を生き抜いていく。ただ弟は度胸が無いので、後押ししてくれる、しっかりとした嫁が必要
となる。余談だが、弟の嫁が自分に「お兄さん。コーヒーは飲みますか?」と聞いてくれた時には、とてもよくできた嫁だな〜 と思った。今、自分自身は 弟の嫁には何もして上げれない身分なので、とても申し訳ないと思う。あと甥っ子って存在にもびっくりさせられた。初めて合ったのに遺伝子が知っていた。自分はある部分がメチャクチャ最先端かも、知れないが ある部分は、超後先端だったりもする。続く…
アメリカ同時多発テロ 9.11を体験して… 自分はアメリカの同時多発テロを経験した。その日はとても晴れた秋晴れの高い空で、午後から学校でマーケティングのリサーチプレゼンテーションが組み込まれていた。自分が取り組んでいたテーマは「何故?諸外国で日本食(すし)が受け入れられたのか?」というテーマを発表する事だった。前夜までリサーチチームのブラジル君と魚の鮮度とビタミンの比率データを収集する事に専念していた。続く…
ニューヨーク の ウエストヴィレッジ にてピストルを突きつけられた話… 自分は過去2回に渡りピストルを突きつけれた経験がある。一回はニューヨークのウエストビレッジにて 覆面の警察官に付きつけられた。もう一回はニューヨークのイースタンパークウェイの引っ越し中に覆面の16歳位のギャング少年に襲われた。今回は1回目の話を残そうと思う。話は序章に戻るが、1993年の中学生の時に観た映画がある。それはクリスタッカーが出演しているギャグギャング映画「CB4」という映画だ。主人公のクリスはギャング団ながらラップグループとして活躍していく映画。主人公はラップミュージックをヒットさせていき、エンターテイメントをのしあがって行くといった内容である。その彼等の代表曲に「玉の裏の汗」(笑)という曲がある。どういう意味だろう?と不思議に思っていた。まず 極論からいうと ピストルを突きつけられると 金玉がジャンプする!そして 凄い料の汗が玉の裏から流れ出る。恐らく人間のバイオメカニズムが200%以上、働いて緊急事態に陥ると思うんだと思う。つまりは玉の裏の汗というのは ピストルを突きつけれた黒い野郎のギャグという事になる。続く…
続きます。
- イギリスでパイクフィッシング Pt.1 (日本のルアーが世界で釣れる)
- イギリスでパイクフィッシング Pt.2 (日本のルアーが世界で釣れる)
- イギリスでパイクフィッシング Pt.3 (日本のルアーが世界で釣れる)
- ドイツヘ… i etwas sagen wollen, pt.1 (国家反相対性理論)
- ドイツヘ… i etwas sagen wollen, pt.2 (国家反相対性理論)
- 友人は人殺し!! ブルックリンの思い出 (it’s murder) PT.1
- 友人は人殺し!! ブルックリンの思い出 (it’s murder) PT.2
- ジャマイカヘ 〜国家が乗っ取られる時〜 前編
- ジャマイカヘ 〜国家が乗っ取られる時〜 後編
- オランダヘ 〜安楽死と女とグラスが認められている国〜
小話編 > coming soon
- ピストルを突きつけられた話 ~ニューヨーク・グリニッチビレッジ編~
- 上の階で殺人事件があり早朝、部屋にNYPDが侵入してきた件 ~ブルックリン~
- ラッパーの「スリックリック」にあった話 ~ニューヨーク・8thアヴェニュー~
- “サチコ”という女の子にあった話
- インド人の”カマル”という友人と親父さんについて
- 映画「七人の侍」に隠された2つの見方
- アメリカという国はどういう国なのか?
大話編 > coming soon
- 日本軍が如何に世界中で讃えられているかという件 (実体験談)
- アメリカ同時多発テロ 9.11を体験して…
- 入山理恵という宇宙一最高な女と結婚できなかった件
書き途中…随時更新しています。