瀬田川へ (2015年 1月30日) 初チェイスがあった
どうもYです。今朝方、6:30まで書類の作成と整理に追われて、8:30に起床しました。毎年、この時期はただ働きにしか思えないのは私だけでしょうか?さて、本日も30分修行に行ってきました。まずはウィグルワートのアーロン巻きで探ります。
毎日、リップラップやカバー撃ちがしたいが為に、今の物件に引っ越して来たようなものです... 数日前より目をつけているのが、通称2個岩石の皿岩です。ここにバカデカイ4kg位のが、入ったりしてきてます。
本日はチェイスがありました。40cmぐらいのバスで、かなり怒ってました。追い払い系のチェイスでした。近日中に仕留めて、このブログで紹介しようと思います。では...
日本軍が如何に世界中で讃えられているかという件 (実体験談)
自分の祖父は海軍の軍人で戦艦武蔵の乗組員でもあった。そんな事もあって一人で欧州やアジア方面で旅に出た時に現地の人間などと色々と話をした。世界の中の自分の立ち位置がどんな所でどんな国なのかと言う事を知るためにだ。皆さんも自分が立っている土地、つまりは日本が何故いまがあり、ここにいるのかという事を考える必要が日本人ならばあるはずだ。立ち位置というのは、ただの現在時刻地点であって、必ず前と後、過去と未来がある。誰でも解る事だが、考えようとしている人は以外と少ない。1945年にあった太平洋戦争。よくこの戦争を悪くいう人が多い。内容的には戦争末期になった時に罪の無い沢山の若者が死んでいったといういい回し方が多い。外国に長く住んで色々と考えるとそれらの死というのは全然無駄死にではないという事が解ってきた。そんな体験談を書こうと思う。これらの事は決して本で読んだり、テレビで観たり、私人から聴いた事ではない。
①オランダであったスイス人・・・ゲストハウスでスイス人と同じになった。(写真の様な感じだった)スイス軍に3年間程の在籍した事のある青年でガッチリした体系だった。彼が言うには「自衛」や「愛国心」とは「その国の為に死ねるか?」という事らしい。彼が言うには一流のスイス軍曹でも爆弾と一緒には突っ込めないらしい。つまりは宗教的な理由。一神教的な価値観では自分の家族や思いを捨てる事は間違っても出来ないのだという。それと反面、日本人は1945年に神風自衛という精神戦争に出た。つまりはそういう民族が一番怖いのだと言う。今日にあたっては日本軍が魅せた最後の自衛精神というお陰で未だに日本が侵略されていないという事になる。アメリカのお陰ではないという事を日本人は知らない。知らされていない。三島由紀夫が言っているのがここのポイント「見えないかたち」である。国内では大昔の70年前だが、欧州ではたった70年前になる。それ位の展望感 (perspective) の誤差がある。そんな誤差を修正する為にも外国に一人旅するのがいい事の理由の一つでもある。同時に今立っている土地の小さなホコリや土、石、砂、犬のクソまでさえ、先代の努力や死守した功績の証である。つまりは先祖は皆、大地に返り「歴史」を作り護衛に回ってくれている。そんな上に立っている事が理解できた時には足が震えた。当時は25歳位だった。そして最後にそのスイス人の口から、ブロークンイングリッシュを聞き取りがら出た言葉にも震えた「欧州が目指しているのは旧日本軍さ。」と彼は言った。
①ハワイの公園で合った老人92歳・・・ハワイで旧日本軍の老人にあった。(写真の様な感じだった)俺がベンチに寝ていたら、目の前に爺さんが立ちふさがるように立っていた。いきなり大きな声で「おはよう!%&#%"」とか言ってきた。おっ!日本語だと思って飛び起きた。ビー玉の様に透き通った目に、記憶鮮明な頭脳を持ち合わせた爺さんだった。右手には木刀を持っており、クソヘタクソな字で自分の名前が書いてあった。ハワイは気候が良いので老化の仕方が日本とは全然違う。いきなり「決闘なら受けてたつ!」と言われた。まあまあ!座ってくださいという事になった。どうやらパールハーバーアタックを2つ山の向こうから見ていたらしい。話によると西の山の上からゼロ戦が6機位で飛んで来て....書き途中...
③成田空港で笹川良一の本を読んでいたら老人からおこずかいを貰った・・・
瀬田川へ (2015年 1月28日)
本日は朝から書類の製作、電話での打ち合わせ、配達。そして、待ち合わせといろいろと課題が山積みなYです。途中、某ワーム会社の社長様とお話しさせて頂きました。上手く山が動けばいいのですが...フフッ。
という事で、夕方は瀬田川に....
水温3℃で雪がパラパラ降ってます。もう最近はアタリがあるらしい。
ウィグルワートで岩を見ますが....
瀬田川へ (2015年 1月27日)
どうもYです。昨日は徹夜で、神戸まで出張し、商談と用事、挨拶を済ませて帰宅。午後は税理士の先生と合い、夕方に瀬田川へ...水温6.0℃。暖かいです。釣れるかな?
ビックベイトのモヤモヤ撃ちです。
これがモヤモヤ(濁り)です。この中にいるかも!?
ドイツヘ… i etwas sagen wollen, pt.1
最近のダメダメフィッシングガイドの時にお客様から聞かれる一番の質問が「瀧川さん。あのプロフィールとか自身の旅のブログを是非アップしてください。」と聞かれる。それなので少しガチで書こうと思います。今回はドイツへ行った時の事を書こうと思います。(写真はナチの総本部のゲシュタポ事務所跡地前)自分の祖父はベテランの海軍で15年間のキャリアを持つ軍人でした。平成生まれの人間には分からないかも知れませんが、人間が本当の真価を問われるのは「鉄砲の玉をかいくぐって来た人間か、誰かの為に死んだ人間」かのどちらかです。何かの為に生きれない人間は不幸かもしれません。果たして日本という国は諸外国からどう評価されているのか?果たして第二次世界大戦の日本に対しての世界の評価はどうあるのか?という事の答えを求めて、調べたい事も沢山あり自分はドイツへ渡航しました。やっぱり向こうのスキンヘッドのマフィアに「おう!お前。ジャパニーズの事どう思ってんだよ?」と首を絞めて聞くのが一番だと思いました。世の中は自分がおかしいのか、世界がおかしいのかの二つに一つです。
自分はニューヨークのウンコ3流大学に在学中にきずいた事の一つに「日本国内で需要な歴史的な要素が全て連合国に消去(検閲)されているという事実」を発見しました。ご存知の通り戦争に敗戦すると全ての国家運営に必要な文化的な要素、記録、知識、そして思想が整備(maintain)させられてしまいます。若者が何か生き甲斐を感じられないと言っているのは正論です。理由は生きる事に対しての理由(思想)が国内で未だに検閲 されているからです。戦前は謳歌の如く大日本国家の大讃歌が歌われていた事は間違いなかったと思います。
例として極東軍事裁判の時にA級戦犯にしてされた思想家「大川周明」などの思想は国内では禁書にされています。彼等の唱えていた思想は簡単にいうと「日は極東=日本から日が昇るといった社会主義色の強い内容」で欧米人が黙っているハズがありません。凄く面白い人なので、調べてみてください。日米戦争史は100年戦争と言われており、日清戦争(1894年)から始まっています。石原莞爾等の著書もお勧めです。戦争は勝てば官軍、負ければ肥だめです。アングロサクソンはこれらの社会システムを用いた略奪のプロフェッショナル国家です。羊はストレスなく放牧で育てられ時がきたら皮と肉をそぎ落とされます。
個人的にかなりイカレている存在の一人にアドルフ・ヒットラーという人物がいます。実はこのおっさんが書いた書「我が闘争」という本を自分は持っています。内容は恨み憎しみに復習燃えた上下2巻になっています。(ヨーロッパでは禁書指定)まぁ。全部は読めないです。アーリア人がゲルマン人に対しての関係が紀元前まで遡っています。簡単にいうんでしたら、私達はソッチの白人ではないと言う事です。日本でいうんでしたら、日本人は大陸から来たか?(日本民族騎馬民族説)それとも元々、島にいた民族かでの、コントロバーシャルな内容です。ちなみに、ヨーロッパから日本をみると北朝鮮も韓国も日本も同じ枠で括られます。
このおっさんは第二次世界大戦中に狂った様にユダヤ人を殺しました。殺されたユダヤ人は600万人(体重45キロ換算で2億7000万トン)仮にこの数字が捏造であっても、70年前にヨーロッパで組織的にこういう事があったのが事実だという事です。とんでもなく非情な世界です。枠が変革すれば論は直ぐに変わります。それが世の中だと思います。
話は戻り...到着して市内観光する事にしました。自分は少しドイツ語ができたのでドイツ語で受け付けしたら、英語でツアーが始まった。ふざけてるのかと思い、今度はスペイン語で質問したら「ムッ」とされた。(笑)目の前に見えるのが当時のままの時計台、この辺、一体は連合国の空爆でがれきの山になっていたらしい。
ドイツはそこら中でインフラ整備が行われている。それだけ景気がいい証拠。
ヨーロッパというのはもの凄く深い国。ちょとやそっとで入国すると貶(おとし)めされるような錯覚にも陥る。アメリカのロスやニューヨークはノリノリで入国できても、ヨーロッパはまるで違う。やっぱり日本はアメリカの敗戦国だな一番感じる瞬間でもある。逆を返せば日本も明治時代までこれらの、風格ならぬ国風は多いに存在していたと思う。
ツアーしているメンバーの中にイギリス人の3人組と仲良くなった。この大聖堂も真っ黒けっけ。塗ればいいのに?質問したら政府が許可しないらしい。
この辺の柱も真っ黒けっけ。70年以上の前のものとは信じられない。イギリスの遺跡にも戦争の跡が沢山付いていた。槍で浸かれた跡もあった。
それにしてもこの辺は空気も悪いし、水も汚い。気分がメチャクチャ悪い。吐き気がする。
ツアーの自由時間になり、近くのコーヒーショップに入って、メチャカワイイ女の子がいたので少し話をした。内容はアニメのアキラの事で盛り上がった。世界中の女の子と話が出来るのはとてもうれしい事だった。時々、キスしてくれる子もいた。
日本の建物は全て木造だがヨーロッパ方面は全て石造。石は残るが木は燃え朽ちて無くなってしまう。
駐車の一つみても民族性みたいな何かが感じられる。バンパー擦ってますがね?
ご覧の様に色んな場所が工事中になっている。投資のスピードが日本とは全く違うようだ。ヨーロッパではゆっくりと建設業を行うらしい。
西ドイツと東ドイツのセクターに来た。ウェポンは持ち込むな!と書いてある。*因にニューヨークのクラブで遊んでいた時に、「俺のマグナムはデカイぜ!」とギャグを飛ばして半殺しにされた知り合いがいる。欧米諸国で下ネタのギャグは気を付けて頂きたい。
この辺は「ナチ歴史資料館」を建設する予定だったが、ユダヤ系の反発団体が砂と土地ごと買い取って全てを封印してしまったらしい。ナチが歩いた砂も気にイラねぇ〜。という事だ。すさまじい....
このドンよりドヨドヨな天気がヨーロッパ。日本みたいにスカッ!とは晴れない。
この中がナチの総本部だった場所。自分は霊は信じないが凄い霊気だった。ポーランドのアウシュビッツも半端なかった。日本だったら靖国神社も凄い霊気を感じた。
「ヘイ!ミスターヨシ。イッヒハビィシガ〜?」とタバコ持っているか?と聞かれるが!イッチヘビンニッチト!持ってねぇよ。と答えたら「アジア人はタバコはスワネぇ〜のか?」と気まずい雰囲気になった。東条英機の気持ちが分かったような気持ちがした。危うく第4次世界大戦が勃発する所だった。
ここからはベルリンの市内にある石で作られたエクスビジョン的なモニュメント。
続く...
イギリスでパイクフィッシング Pt.1 (日本のルアーが世界で釣れる)
色々と過去のデータを整理していると出てくる写真の数々...少しアップさせて頂きます。これからの将来活躍する人達の為にも残したいと思います。2000年頃からヨーロッパ方面でビザの許可が緩和されワーキングパーミットが取りやすい時代になりました。つまり一文無しでも海外で仕事ができる時代になったんです。(ただし大使館の面接員に認められた人のみです)そこで私はイギリスへの仕事を見つけインターナショナルでのジョブ面接に成功してイギリスへ最低2年間の勤務する事になりました。自分が受け持った仕事はロンドンの高級料理店メイフェアにチェーン店を持つ日本食レストランの材料の通関の仕事です。ヨーロッパでは"ダシ"という文化はなく、全てはフォーミュラという英語で呼ばれます。つまり"カツオ節のだし"は"Formura-bonito X"となる訳です。割りダシってのもまた違うんです。写真は近所の公園("Hampsted Park") それはさておき...
私が住んだ場所はロンドンのカムデン地区。そうですね。あのカムデンロックで有名なカムデンです。有名所でしたらジミヘンやボブマーリーの息子ジギマーリーがライブを行った場所です。私の得意分野は"政治"や"歴史"や"世界経済"です。マルクス主義の話やスターリニズムの話は大好きです。勿論、アメリカの歴史も好きです。全て趣味ですが...色々と調べています。ブログのSEOの関係で余計な事は引っ掛けたくないので、フィッシング関係のみで流します。渡英が決まり"パイク"が釣れるのか?という不安と興味も大変ありました。
これが近所の教会です。築250年以上。教会って凄い所です。悲しい人や嬉しい人全ての冠婚葬祭行事を受け入れる場所です。こんな教会がブロック毎にあります。
これは私の裏庭にあった、天然の葡萄の木です。秋にはブドウが沢山なるんです。うまいんです。でも翌年にはブドウがなにもならなかったんです。ヨーロッパは本当に天候が不順で作物を育てるには向いてない国です。レストランにいってもカボチャはエジプト産、キュウリはスペイン産だったりといろいろです。
このビールはデンマークの Carlsberg Elephant Beer (カールズビール) です。私のフェイバリットでした。安くてうまいんです。もし海外旅行に行かれる方は各地でビールを飲む事をお勧めします。
これが近所のキャナルリバーです。日本で言うんでしたら、江戸川や遠賀川といった所です。今から150年位前まで郵送運河路として使われていた訳です。この中にデカイバケモン"パイク"が潜んでるんです。ちなみにロンドンではルアーフィッシングをやっている人はいません。やっている人がいてもスピナーを投げている人くらいです。都心部でフィッシングはそこまで盛んではありません。ルーマニア人とフランス人は鯉釣りをしていますが、全部、食べてしまう人ばかりです。
初めの半年は兎に角、いろいろと足で回りました。パイクがいるかどうかとも分かっていない状態でした。情報収集をしながらの毎日でした。瀬田川みたいな所です。目の前に見えるのがロンドン名物の2階建てのバスです。
自分がいつも来ていたのはパイプセンター(水門場)の裏でした。ロッドは折りたたみ式のアブホーネット68 MH にリールは'00 メタニウムでした。果たしてロンドンの化け物"ワニの顔"は現れるのでしょうか? 続く...
ボートフィッシングを始めたい方や経験が浅い方を対象に約10年程前からスモールボートにてガイドを行っております。只今、ゲスト様を募集中です。