2015 1月

マンスリーアーカイブ 1月 2015

マグネットブレーキのカチカチ音が故障 (ダイワリール) 6

マグネットブレーキのカチカチ音が故障 (ダイワリール)

ダイワのリールでマグネットブレーキのカチカチ/クリック音が鳴らなくなってしまった時の修理方法です。使用していくうちに起こりうる 問題で故障ではありません。 マグネットブレーキノブのカチカチ音が鳴らなくなった!修理手順解説 まず、サイドキャップを外します。この爪の留め金を小型のマイナスドライバーで下から上に外します。力は入れる必要ないです。 この金具が原因です。この金具の角がダイヤル側のノッチに絡んで "カチカチ" 鳴らせているんですね。修理方法はこれをヒックリ返すか... 0.5mm程 広げてあげて突起の部分を少し前に出します。少し難しいですが良く見てみると解るハズです。どちらにしても治らない方は ブレーキノブ のプラスチック部品を新品に交換する事をお勧めします。修理オーバーホールの申し込みは こちら からお願いします。

メタルバイブレーションの使い方!! (大西健太)

冬のメタルバイブテクニック リトルマックスとは?・・・特に急激な冷え込みや水温低下のタフタイム、バイトが無い時やショートバイトで乗せられない時、絶対的に「これしか釣れない。」と菊元俊文が断言するほど の切り札的存在。驚異的な飛距離、マックスな震動とスライドするフォールのコンビネーションで、今まで届かなかったバイトが得られる。一口サイズでイー ジーなフッキング。ダブルフック標準装備で根掛かり率を大幅に減少。これが元祖ジャパニーズメタルバイブレーション。

お荷物問い合わせ

クリック クリック
ドイツヘ... i etwas sagen wollen, pt.1 38

ドイツヘ… i etwas sagen wollen, pt.1

最近のダメダメフィッシングガイドの時にお客様から聞かれる一番の質問が「瀧川さん。あのプロフィールとか自身の旅のブログを是非アップしてください。」と聞かれる。それなので少しガチで書こうと思います。今回はドイツへ行った時の事を書こうと思います。(写真はナチの総本部のゲシュタポ事務所跡地前)自分の祖父はベテランの海軍で15年間のキャリアを持つ軍人でした。平成生まれの人間には分からないかも知れませんが、人間が本当の真価を問われるのは「鉄砲の玉をかいくぐって来た人間か、誰かの為に死んだ人間」かのどちらかです。何かの為に生きれない人間は不幸かもしれません。果たして日本という国は諸外国からどう評価されているのか?果たして第二次世界大戦の日本に対しての世界の評価はどうあるのか?という事の答えを求めて、調べたい事も沢山あり自分はドイツへ渡航しました。やっぱり向こうのスキンヘッドのマフィアに「おう!お前。ジャパニーズの事どう思ってんだよ?」と首を絞めて聞くのが一番だと思いました。世の中は自分がおかしいのか、世界がおかしいのかの二つに一つです。 自分はニューヨークのウンコ3流大学に在学中にきずいた事の一つに「日本国内で需要な歴史的な要素が全て連合国に消去(検閲)されているという事実」を発見しました。ご存知の通り戦争に敗戦すると全ての国家運営に必要な文化的な要素、記録、知識、そして思想が整備(maintain)させられてしまいます。若者が何か生き甲斐を感じられないと言っているのは正論です。理由は生きる事に対しての理由(思想)が国内で未だに検閲 されているからです。戦前は謳歌の如く大日本国家の大讃歌が歌われていた事は間違いなかったと思います。 例として極東軍事裁判の時にA級戦犯にしてされた思想家「大川周明」などの思想は国内では禁書にされています。彼等の唱えていた思想は簡単にいうと「日は極東=日本から日が昇るといった社会主義色の強い内容」で欧米人が黙っているハズがありません。凄く面白い人なので、調べてみてください。日米戦争史は100年戦争と言われており、日清戦争(1894年)から始まっています。石原莞爾等の著書もお勧めです。戦争は勝てば官軍、負ければ肥だめです。アングロサクソンはこれらの社会システムを用いた略奪のプロフェッショナル国家です。羊はストレスなく放牧で育てられ時がきたら皮と肉をそぎ落とされます。 個人的にかなりイカレている存在の一人にアドルフ・ヒットラーという人物がいます。実はこのおっさんが書いた書「我が闘争」という本を自分は持っています。内容は恨み憎しみに復習燃えた上下2巻になっています。(ヨーロッパでは禁書指定)まぁ。全部は読めないです。アーリア人がゲルマン人に対しての関係が紀元前まで遡っています。簡単にいうんでしたら、私達はソッチの白人ではないと言う事です。日本でいうんでしたら、日本人は大陸から来たか?(日本民族騎馬民族説)それとも元々、島にいた民族かでの、コントロバーシャルな内容です。ちなみに、ヨーロッパから日本をみると北朝鮮も韓国も日本も同じ枠で括られます。 このおっさんは第二次世界大戦中に狂った様にユダヤ人を殺しました。殺されたユダヤ人は600万人(体重45キロ換算で2億7000万トン)仮にこの数字が捏造であっても、70年前にヨーロッパで組織的にこういう事があったのが事実だという事です。とんでもなく非情な世界です。枠が変革すれば論は直ぐに変わります。それが世の中だと思います。 話は戻り...到着して市内観光する事にしました。自分は少しドイツ語ができたのでドイツ語で受け付けしたら、英語でツアーが始まった。ふざけてるのかと思い、今度はスペイン語で質問したら「ムッ」とされた。(笑)目の前に見えるのが当時のままの時計台、この辺、一体は連合国の空爆でがれきの山になっていたらしい。 ドイツはそこら中でインフラ整備が行われている。それだけ景気がいい証拠。 ヨーロッパというのはもの凄く深い国。ちょとやそっとで入国すると貶(おとし)めされるような錯覚にも陥る。アメリカのロスやニューヨークはノリノリで入国できても、ヨーロッパはまるで違う。やっぱり日本はアメリカの敗戦国だな一番感じる瞬間でもある。逆を返せば日本も明治時代までこれらの、風格ならぬ国風は多いに存在していたと思う。 ツアーしているメンバーの中にイギリス人の3人組と仲良くなった。この大聖堂も真っ黒けっけ。塗ればいいのに?質問したら政府が許可しないらしい。 この辺の柱も真っ黒けっけ。70年以上の前のものとは信じられない。イギリスの遺跡にも戦争の跡が沢山付いていた。槍で浸かれた跡もあった。 それにしてもこの辺は空気も悪いし、水も汚い。気分がメチャクチャ悪い。吐き気がする。 ツアーの自由時間になり、近くのコーヒーショップに入って、メチャカワイイ女の子がいたので少し話をした。内容はアニメのアキラの事で盛り上がった。世界中の女の子と話が出来るのはとてもうれしい事だった。時々、キスしてくれる子もいた。 日本の建物は全て木造だがヨーロッパ方面は全て石造。石は残るが木は燃え朽ちて無くなってしまう。 駐車の一つみても民族性みたいな何かが感じられる。バンパー擦ってますがね? ご覧の様に色んな場所が工事中になっている。投資のスピードが日本とは全く違うようだ。ヨーロッパではゆっくりと建設業を行うらしい。 西ドイツと東ドイツのセクターに来た。ウェポンは持ち込むな!と書いてある。*因にニューヨークのクラブで遊んでいた時に、「俺のマグナムはデカイぜ!」とギャグを飛ばして半殺しにされた知り合いがいる。欧米諸国で下ネタのギャグは気を付けて頂きたい。 この辺は「ナチ歴史資料館」を建設する予定だったが、ユダヤ系の反発団体が砂と土地ごと買い取って全てを封印してしまったらしい。ナチが歩いた砂も気にイラねぇ〜。という事だ。すさまじい.... このドンよりドヨドヨな天気がヨーロッパ。日本みたいにスカッ!とは晴れない。 この中がナチの総本部だった場所。自分は霊は信じないが凄い霊気だった。ポーランドのアウシュビッツも半端なかった。日本だったら靖国神社も凄い霊気を感じた。 「ヘイ!ミスターヨシ。イッヒハビィシガ〜?」とタバコ持っているか?と聞かれるが!イッチヘビンニッチト!持ってねぇよ。と答えたら「アジア人はタバコはスワネぇ〜のか?」と気まずい雰囲気になった。東条英機の気持ちが分かったような気持ちがした。危うく第4次世界大戦が勃発する所だった。 ここからはベルリンの市内にある石で作られたエクスビジョン的なモニュメント。 続く...
イギリスでパイクフィッシング Pt.1 (日本のルアーが世界で釣れる) 38

イギリスでパイクフィッシング Pt.1 (日本のルアーが世界で釣れる)

色々と過去のデータを整理していると出てくる写真の数々...少しアップさせて頂きます。これからの将来活躍する人達の為にも残したいと思います。2000年頃からヨーロッパ方面でビザの許可が緩和されワーキングパーミットが取りやすい時代になりました。つまり一文無しでも海外で仕事ができる時代になったんです。(ただし大使館の面接員に認められた人のみです)そこで私はイギリスへの仕事を見つけインターナショナルでのジョブ面接に成功してイギリスへ最低2年間の勤務する事になりました。自分が受け持った仕事はロンドンの高級料理店メイフェアにチェーン店を持つ日本食レストランの材料の通関の仕事です。ヨーロッパでは"ダシ"という文化はなく、全てはフォーミュラという英語で呼ばれます。つまり"カツオ節のだし"は"Formura-bonito X"となる訳です。割りダシってのもまた違うんです。写真は近所の公園("Hampsted Park") それはさておき... 私が住んだ場所はロンドンのカムデン地区。そうですね。あのカムデンロックで有名なカムデンです。有名所でしたらジミヘンやボブマーリーの息子ジギマーリーがライブを行った場所です。私の得意分野は"政治"や"歴史"や"世界経済"です。マルクス主義の話やスターリニズムの話は大好きです。勿論、アメリカの歴史も好きです。全て趣味ですが...色々と調べています。ブログのSEOの関係で余計な事は引っ掛けたくないので、フィッシング関係のみで流します。渡英が決まり"パイク"が釣れるのか?という不安と興味も大変ありました。 これが近所の教会です。築250年以上。教会って凄い所です。悲しい人や嬉しい人全ての冠婚葬祭行事を受け入れる場所です。こんな教会がブロック毎にあります。 これは私の裏庭にあった、天然の葡萄の木です。秋にはブドウが沢山なるんです。うまいんです。でも翌年にはブドウがなにもならなかったんです。ヨーロッパは本当に天候が不順で作物を育てるには向いてない国です。レストランにいってもカボチャはエジプト産、キュウリはスペイン産だったりといろいろです。 このビールはデンマークの Carlsberg Elephant Beer (カールズビール) です。私のフェイバリットでした。安くてうまいんです。もし海外旅行に行かれる方は各地でビールを飲む事をお勧めします。 これが近所のキャナルリバーです。日本で言うんでしたら、江戸川や遠賀川といった所です。今から150年位前まで郵送運河路として使われていた訳です。この中にデカイバケモン"パイク"が潜んでるんです。ちなみにロンドンではルアーフィッシングをやっている人はいません。やっている人がいてもスピナーを投げている人くらいです。都心部でフィッシングはそこまで盛んではありません。ルーマニア人とフランス人は鯉釣りをしていますが、全部、食べてしまう人ばかりです。 初めの半年は兎に角、いろいろと足で回りました。パイクがいるかどうかとも分かっていない状態でした。情報収集をしながらの毎日でした。瀬田川みたいな所です。目の前に見えるのがロンドン名物の2階建てのバスです。 自分がいつも来ていたのはパイプセンター(水門場)の裏でした。ロッドは折りたたみ式のアブホーネット68 MH にリールは'00 メタニウムでした。果たしてロンドンの化け物"ワニの顔"は現れるのでしょうか? 続く... ボートフィッシングを始めたい方や経験が浅い方を対象に約10年程前からスモールボートにてガイドを行っております。只今、ゲスト様を募集中です。
ドイツヘ... i etwas sagen wollen, pt.2 21

ドイツヘ… i etwas sagen wollen, pt.2

このモニュメントは「Murdered Jews of Europe=ユダヤ人虐殺記念館」ここは第二次世界大戦中に虐殺されたユダヤ人を供養する記念碑のアートチックな場所。ホームページはココ。 簡単にいうと第二次世界大戦中の心境や風潮を石で表現して、心理状態を操作する石碑らしい。つまりはココにきた人は感じられるアート。こんな感じでボツボツとした、石がそこら中にある。全ては歪で計算されているようだ。 果てしなく多い。そして中に歩いていくと... どんどん深くなる。 真っ暗になった。いきなり目の前から違う観光客にあると、メチャクチャビックリする。この石は地面は微妙に傾いている。これが戦時中を表したアートらしい。 次にきたのが「The Brandenburg Gate」ブランデンブルク門。この街は250年前まで大きな塀に囲まれていた街だったらしい。(進撃の巨人ネタはこれである)つまりは280年前までは、この門の下を通らなければ外に出れなかったらしい。 古代のギリシャ神話をモチーフにされ1788年に完成。 途中、ナポレオンのパレードがあったり... ヒットラーの還暦パーティーがあったり... 5年後に連合軍に爆撃され... そして1961年に自由主義と社会主義の対立が始まり、ベルリンの壁が建設。事実上の通行止めになったりと、激しい歴史のドイツベルリン...ヨーロッパの歴史は険しく果てしない... このベルリンに描かれた絵、当時、東ヨーロッパから西ドイツに逃げ出したく、壁に全速でぶつかって死亡した人がいたらしい。ちなみにこの車はトラバントといい、東ドイツ(ソ連)のシンボルでもある。車のボディはFRPで出来ており、最終型にはパルプも混ざっていたらしい。そんな車で壁を突き破るなんてのは無謀な行為だったろう。「TEST THE BEST」って書かれている。つまりはテストしてもない国家を運営するな!というヒドンメッセージも隠されている。自分の格言にもなった。*ちなみには今現在はこれらの絵は全てボムされている。 結局、この晩はウォーターゲートのクラブへ訪問させて頂き、最新のベルリンっ子のテクノのを楽しませてもらった。まあまあ楽しめた。 最後に話を締めたい所だが、少し話しを残して置こうと思う。日本の為にもなると思う。このオッサンこと、ヒットラーは合法的に民主主義という政治の仕組みを利用して、ユダヤ人を焼却できるまでの身分に昇り詰めた。果たしどのようにのし上がったのか?答えは簡単で全てはメディア(プロパガンダ)の力である。表にメディア、裏にカミソリという契約書を添えて政治を展開させた。この女性「leni riefenstahl」こそが立役者である。1935年に公開された映画「Triumph of the Will=意志の勝利」というタイトルの映画。 この映画の監督がレニーである。この望遠レンズをして、もの凄い迫力のある映画を撮った。いかにオッサンが凄くで凄まじい人であるかという事を提唱する映像である。私が思うには前世記の最高傑作はこの映画だと思う。同時にニューヨークのファッション関係の大学(FIT等)では未だに、永遠にこのレニーの事が研究されている。凄い女性である。後にこれらの映画のスタッフがアメリカのハリウッドに移り映画製作会社に加わったのは有名な話。事実上の以心伝心である。 1934年に開かれた Triumph des...

24分以内に読まれた記事

7272516