本日も夕方から 室内作業日でした。出勤前の毎度の寄り道ならぬ 寄り川です。一ヶ月前から聞こえた釣果情報も今週は下降気味でした。今週末にはデカバス警報が発令されそうですね。


天気予報

水位・雨量・放水量
日時 2019年 4月 15日 (月曜日)
琵琶湖水位 (6時平均) 5cm
洗堰放流量 (現在) 35m³/s
平均日雨量 (琵琶湖水域前年比) 1.7mm
水温 14.0℃

本日も爆風日でした。風は冷たいのだが、気温は暖かい日が続く。


瀬田川 ~東岸南エリア~

本日も瀬田川西岸南エリアを見てみます。先週に立ち寄った少し北側のエリアだ。この辺りはサンドバーになっているらしく、遠浅の地形が続く。ハイシーズンになったらトップやノーシンカーなんでも楽しめそうだ。


裏山を見てみると立派な竹林があり、何故か砂地エリアには竹が生息している。


おおっ!アブね。


北マリアナ諸島サイパンへ

先週は私用があり、諸外国へ。途中 トランジットのためにでグアム島で宿泊、少し時間があるという事で サイパン島へ立ち寄る。ここは世界史、及び 日本史にとっては切り離せない 運命の地 だ。第一次世界大戦後の慣れ行きで 日本統治領(委任統治)となり 製糖と漁業がなされ日本人女学校まで設立されていた。

1944年6月15日にアメリカの猛攻撃をうけ 日本領サイパン島は陥落する。それから二ヶ月後に日本を空襲するために 米軍の基地が置かれ 原子爆弾もこの島界隈で積まれた。後に負傷死者含め 100万人以上の犠牲者が出た。この島から東京までの 距離は約2300km、B29の連続飛行可能な距離が約6000km と言われている。軍事戦略線上にそびえたつ “地獄への案内島” でもいうベキだろうか。これから世界で働きたい外国に進学したいという方は日本と世界の歴史を少しでも知るのは必要不可欠。日本国内では戦争は集結したという事になっているが、諸外国人からは永遠に集結はさせてもらえないだろう。戦争史や世界情勢は複雑に絡みあった原因があるので 一概には答えや考えは出せないが実際に現地に行ってみるのが一番いいと思います。


自分が一番興味のある事は 戦争に置ける 戦略ルートだ。この作戦での兵力を調べてみると 日本兵31629人、米国兵66779人となっている。当時の米軍上陸作戦を追ってみると 1944年6月15日に × ランディングビーチ から上陸、そこで必死に攻防戦を繰り広げた日本兵25000人は戦死、劣勢になった日本軍は北と南に別れた。南に逃れた日本軍は全滅、そして × の空港が占拠。北に逃れた日本軍は × の地獄谷から極楽谷でゲリラ戦を繰り広げる。それでも生き残り武器が無くなった日本兵は最北部の自殺崖(スーサイドクリフ)から飛び降り自殺して最後を迎える。*wikipediaより


今回は現地のチャロモ族のペスさんにガイドをお願いした。米国圏なので公用語は英語が通じる。ペスさんは GTのフィッシングガイドも行っており、最近はスピヤー(空気銃)でのシイラ狩りも行っているらしい。まずは チャランカノア海岸 aka ランディングビーチ に来た。通称シャーマンと呼ばれるエリアで 米軍のシャーマン戦車が沈んでいる。ノールマンディーの上陸作戦も同等に ビーチでの戦いは 正面衝突するために犠牲者も多い。ちなみに島の北面は断崖絶壁となっており 上陸する事は不可能な島の地形事情だ。


次に 地獄谷から極楽谷 という所に来た。ここは 南部上陸作戦に敗れた 歩兵第18連隊(愛知県) が北上して ゲリラ戦を繰り広げたエリア。ここら辺に来ると亜熱帯性の植物が密林しており、湿気も多い。米国兵の証言によると日本兵は死角に隠れており、近距離で狙撃され 前進する事が一番難しかったエリアらしい。*この辺は既に現地の私有地(private property)になっており、無断で侵入すると逮捕、撃たれる可能性もあるので注意が必要です。今回はチャロモ族の村長さんから許可を頂いています。


まあまあなエリアだ。ヘンテコな鳥の鳴き声が不気味に聞こえる。


そして北部のエリアに来た。岩盤の至る所に空いている穴が 艦砲射撃 で空いた穴だ。


あの上から飛び降り自殺した人も多いそうだ。ちなみに当時は現地人も日本の教育を受けていたので 現地人も自決したらしい。ガイドのペスさんの叔父も戦死したとの事だ。続く…